サラリーマンの定年と老後

超高齢化社会の到来とともに今現代日本で起こっている諸問題を考えます。

定年後の老後を考える

<老後を考える>

もうそのような歳なのか

だが今日もまた老後を考えてしまう

 

もしかしたら日本人の99%は自分の老後を毎日考えながら生きているのではないのか?

老後のために何をすればいいのか

どうする定年後の人生

老後の蓄え、老後破産したらどうしよう

失敗したら老後貧困の仲間入り

老人漂流社会、下流老人、老後難民、孤独死、放置死、老後餓死……

 

若いうちからそのようなことばかり心配しながら生きている

人生を楽しめるはずがない

今が一番楽しいのに、楽しもうともしない

充実しているはずの日常が、老後の心配で埋め尽くされる

 

人生に老後が重くのしかかる

所詮、老後などはおまけみたいなものなのに

こんなことを言ったらなんだが

自分などさっさと70歳ぐらいで死んだ方がいいと思えてくる

 

老後の蓄えは最低3000万円必要ですよ

まともに生きてきた我々にいったいどこにそんな金がある

こんなことを書いたら、俺はかろうじて3000万円持っているから

中流だ、などと勘違いし優越感を持つ輩が出てくる

 

まったくの勘違いだ、3000万円持っていたら偉いのか

人間の価値は預貯金の多さではない中身だ

しかしそんな言葉が通用しない時代になっているのかもしれない

寂しいことだ

 

だがいろいろ考えすぎると

老後などもうどうでもよくなってしまうのも事実だ

老後になれば半分惚けてしまうのかもしれない

惚けなくともフラフラになるのは事実だ

ボーと西の空ばかり見ているのかもしれない

それでもそんな毎日に何も感じなくなってしまうのかも

 

ようするに老後などあまり考えすぎてもいけないのだ

(しかしわたしは老後を考えるのが趣味みたいなものだけれど)

 

今も楽しく、老後も楽しく

それが一番幸せな人生だ

今が楽しくなくて、老後だけが楽しいはずがない

少なくとも今よりは(体力、気力、資金力の面から言っても)

楽しくなくなるのは間違いないのだから

 

会社など60歳できっちりやめてやろう

これが普通のサラリーマンの合言葉みたいになってしまっている

だが皆やめられないのだ

勇気のある人間は62歳か63歳で辞めていく

お金の心配を抱えながら

 

 

 

 

現に誰もが3000万円握りしめて老後を迎えようとする

俺は持っていない奴らより少し上流なのだと

 

だがようするに頑張るしかないのだ

今も老後も死ぬ間際まで

楽をしたいなどと思うからいけないのかもしれない

人間楽をし過ぎると余計に不調を感じる

そもそも楽な人生なんてものはあり得ないのだ

人それぞれ何か問題を抱えてしまうものなのだ

何もないというのもまた問題なのかもしれない

 

すべての病気の原因はストレスからくるといわれている

それに気力、精神力、やる気が失せたとき

人はガタッときてしまい急に老けこみ病気になる

細胞が急激に死んでしまうのだ

老化現象が起こる

ようするに人は今も、死ぬまでもずっと

やりたいことを頑張ってやって生きていくしかないのではないのか

「何がやりたいのか?」

「何が好きなのか?」

「どうなりたいのか?」

この3つを忘れないことだ

 

人は本当に好きなことはそういくつもあるわけではない

無理をしてあれもこれもやらなくてもいいのではないのか

本当に好きなことを一つだけやり続ければいいのだ

朝から晩まで毎日欠かさず

それだけで元気に生きていけるはずだ

他人がやっているから、面白そうだから、やらなければ取り残される

大金持ちは皆、ワインを収集し、クルーザーを買う

決まってそうだ

ワインとクルーザーは金持ちのステータスなのだ

ステータスに踊らされていては

本当の自分は何なのか? 本当の自分はどこに居るのか?

見失ってしまうのではないのか

それこそみじめな人生だ

 

自分をしっかり持つことだ

「自分の人生は自分で決める」

いい意味で我を強く持つこと

現代社会こそ自我を進めたい

禅でいう無我の境地は、裏を返せば非常に強力な自我のことかもしれない

 

脳力と戦う、脳力を使い切る、脳力マラソン

自分の限界に挑戦しよう

脳細胞が崩壊するまで

 

マラソンはまさに限界への挑戦そのものだ

体力、気力、忍耐力、持続力、瞬発力、精神力、等

もしかしたらそこに惹かれるのか、ライナーズハイ

登山もそうだ、死への挑戦、限界への挑戦だ

クライマーズハイ

書くことも、もしかしたら限界への挑戦なのかもしれない

『ライターズハイ』

 

限界を超えると何かが見えてくる

まさに禅の座禅と同じだ

悟りが見える、大悟する

『ザゼナーズハイ』だ

 

わたしはこのまま朝まででも書き続けられるであろう

だがわたしも明日会社がある身、もうこのへんで寝よう、夜中の一時だ

 

ゴルフも楽しい

一日中毎日でもやっていられるほど好きだ

だが金にはならない

金にならなければそれほど一生懸命にはなれない

やり続ければ僅かでも金になること

それに越したものはない

 

<書いて、書いて、お金を手にして、そしてまた書いて>

 

人はもしかしたらどこかにたどり着くために生きているのかもしれない

それはけっして死ではない

死ぬまでに辿り着かなければいけないところがあるのだ

その人にとって探していた居場所が

聖地が、聖職が、聖域が

それは人それぞれ違うのだろう

昔の人はすべてを投げ出し、命がけで巡礼の旅に出た

聖なる場所を求めて

その人たちには聖なる場所は

己の人生よりも、己の命よりも大事なところだったに違いない

そこにたどり着くことが人生だったのだ

 

人は給料では本気では働きたくはなくなる

自分が動いた分だけの金が入る

日銭が良い

今日は少なかったが明日は多かった

それに生きがいを感じるのだ

やってもやらなくともいつも同じ金の給料が銀行口座に振り込まれるだけの

人生などいったいどこに面白さがあるのか

給料支給日に銀行ATMに並ぶだけの毎日にいったい何の価値がある

今日は0でもしょうがない

しかし明日は頑張って100もらおう

これが人生だ、人生の喜びだ、生きているということだ

 

今日の格言

「朝起きて夜寝るまで、そして月曜から日曜まで、出来るだけ同じようにやることだ。それが上手くいく秘訣だ」

 

素晴らしいお墓……

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